名前:御崎 絢 (みさき あや)
誕生日:7月12日
星座:かに座
血液型:A型

主なワークの内容や手法についてはこちらをご覧くださいませ


2011.08.28スピマにて


◆これまでの私◆

1976年7月、和歌山の山奥に生まれる。
4人兄妹の末っ子なのでさぞかし大事にされただろうと人からはよく言われるが、実際には両親は自営業を営み多忙を極めていて、わりと放置されて育つ。
すごく小さいのに一人でずっと遊べる子供で、とにかく手がかからないことで近所では有名だったらしいが、今思えばこの頃からすでに見えない存在達と話し、遊んでいたような記憶がある。
また、誰にも教えられないのに、すぐ上の兄と私の間に兄がいたことを感じていたが、これは後年になってから死産した兄がいたことを母から知らされる。
山奥で僻地のため周囲に子供がおらず、兄達も年が離れていたことで相手にしてくれず、
結果として一人で野山をかけずりまわって遊んでいた。
草木や山や川や空と話し、青と緑の世界にひたり、それらと共に在る感覚が大好きだった。
同じくらい大好きだった人形遊びは、ある時から人形が話しかけてくることは普通はないのだと気付き、その時から自分が怖くなってやめてしまう。
同じ頃、誰もいないはずの家の中に黒い影があること、両親の会社の従業員の言葉と心が違うことなどが分かりはじめ、自分がおかしいのではないかと本格的に思い始める。
こうして自分自身に否定的になり、自分の能力と感情を抑圧し始めた。
その後も環境のせいでただでさえ孤独なのに、両親の仲がどんどん悪くなっていたことで、否応なしに孤独感を強めていくが、唯一の慰めが空想遊びと自然と戯れることだった。

小学生高学年の頃、同級生の母親で自分の学校の教師だった女性から、人生初のいじめをうける。
この時誰もかばってくれなかったこと、そして誰にも言えなかったことで、だんだん体調を崩しがちになる。
中学2年の時、今度は同級生の女子からいじめをうけ、不眠や倦怠感等の体調不良で少しずつ学校を休むことが増え始める。やがて登校拒否となる。
この頃そうした現実生活から逃避するように、もともと好きだったゲームと同人誌制作にのめりこんでいく。
また、さすがにこれではいけないと思った両親に連れていかれた精神科で鬱病と診断され、投薬治療を始めるも一向に回復せず、症状はどんどんひどくなるばかりだった。
この頃短期間の入院をしたことがあり、この時出会った医療従事者に感銘をうけ、看護師になることを志す。
中学時代は卒業するまでほぼ登校拒否だったが、勉強自体は好きで一人でしていたので成績には問題はなく、県内に唯一の高校看護科に進学する。

高校に入ってからも人間関係で摩擦が生じ、だんだん学校に行かなくなり、同時に他にもいろいろ問題行動を起こし始める。
この間に人間として、女性として、トラウマ的な辛い思いをたくさん経験する。
高校2年の時体調不良を理由に休学するが、自分でも高校ぐらいは卒業しなくちゃと思い、翌年同じ高校の普通科に編入する。
合計4年かかって高校を卒業し、卒業とほぼ同時に婚約をする。

就職後婚約相手に違和感を感じ、婚約解消を申し出るが、その後その相手から嫌がらせと脅迫を受け、その相手の逮捕による報道で自分のことが町中に知れ渡る。
被害者なのにまるで加害者かのようにいたたまれなくなり、ほどなくして高校時代を過ごしたこの町を出ていくことになる。
その後は生活のためにしたくない仕事をし、人からも多くの裏切りをうけ、ただ辛いだけのような毎日を何年かおくる。

24歳の時縁あって再び婚約するが、相手家族と自分の家族の折り合いが悪く、そのせいで結婚式2週間前にして強制的に式を無期延期にされる。
当時鬱が悪化していたこともあり、ショックと怒りのあまり衝動的に自殺をはかる。
幸い命をとりとめたが、意識が回復した頃には婚約破棄が正式に成立していて、自分の意志ではない別れを経験する。
この時私は死ぬことすらできない、死後の世界でさえ私を受け入れてくれないと絶望し、もう生きる道しかないのだと諦める。
その後、実は心停止に至っていたがなんとか蘇生した事実を知り、もしかしたら自分にはどうしても生きてやるべきことがあるのではないかと思い始める。
こうして自分の生きる意義と目的を知るため、もともと興味があったスピリチュアル世界への探求を本格的に始める。

その後も付き合った人からのDV・軟禁や、仕事上での徹底的な挫折など、そして自らの意志と覚悟で決めた大きな別離など、人間としても女性としても辛いことの連続で、霊障の影響もあって鬱症状はどんどん悪化をたどる。
やがて27歳の時には何時間分もの記憶が頻繁になくなったり、一人暮らしなのに全く家から出られないほどの状態になる。
精神的にも肉体的にも金銭的にも限界を迎え、自分の命と当時拾って飼っていた猫だけを連れて実家に舞い戻る。
実家に戻る直前、当時の全財産をはたいて大きな覚悟で受けたヒプノセラピー集中セッションで衝撃的な内的体験をし、なんとなく自分が誰なのかがわかり始める。
そうして得た感動で、自分いつかセラピストになるのだと、何もかも絶望的な状況の中で唯一の光を見出す。

実家では病気回復のため、地味ながらも自分でいろいろ努力をする日々で、あまり目立った回復はなかったもののすでに家族は私のことを諦めていたので、ある意味では気楽な生活だった。

転機が訪れたのは自分が背負っていた大きなものを、家族の協力のもと手放す覚悟と手続きをした時だった。
この一連の作業が終わった日に、それを待っていたかのように突然愛猫が動けなくなり、懸命の看病もかいなく一週間後に死を迎える。
この愛猫の死と看病生活で、生き物とはこんなにも生きたいともがくものなのだ、それが本能なのだと感銘を受け、自分ももう一度、この子が教えてくれたように懸命に生き抜いてみようと決意する。

その後病状は奇跡的な速さで回復し始め、医者を始め誰もが私の社会復帰は一生無理だと考えていたにも関わらず、わずか2カ月後には知人のスカウトをきっかけに仕事を始める。
それから1年以上かかってセラピスト養成講座の受講資金をため、28歳の時念願の受講を果たす。
ある日突然衝撃的な内的体験をし、これをきっかけに急激に霊的覚醒をし始める。
こうして封じていたはずのチャネリング能力が突然復活する。

養成講座の卒業と同時にその主催団体の代表から東京支店をやってみないかと誘われ、何一つ頼るものはなかったが、自らの直感と運命のような流れを信じ、家族の反対を押し切って単身上京する。
上京10日ほどで祖母が急死し急遽故郷に戻ることになったが、そのことがきっかけで家族とは和解に至り、こうして私が遠く離れていても家族と共に在れる道を祖母がその死をもって作ってくれたことに、深く感謝をする。

ヒプノセラピスト兼チャネラーとしてデビューをしたものの、自分の能力が自然にどんどん開いていったことで、ヒプノなのに霊障のクライアントが多く来るようになり、自分にはそういう役目があるのではないかと思い始める。
あくまでも霊障には対応しない方針の代表のもとにいることに限界を感じ、独立を決意する。
決めたら即行動とばかり、その一カ月後にはRe:Birthを設立し、サイトが完成する。

サイトのオープンと同時にお仕事の依頼が殺到し、このお仕事だけでの生活が完全に可能になる。
そしてお仕事をすればするほどその学びと喜びから能力が自然に開いていってしまい、
それまでしたことがないようなヒーリングなどもクライアント様の症状に合わせ自然と行っていた。
しかしやっていることと料金のバランスがとれていないことから肉体的に大きな負担がかかり、自分が全力でやりたいことをやるにはそれに見合った料金をいただかなくてはならないと身をもって悟る。

Re:Birthのオープンから数か月たった頃、現在も指導を受け続けている仲裕美子氏と出会う。
それまで何もかも独力でやっていたが、信頼できる導き手を得たこと、彼女から数カ月間にわたり受けた常時サポートにより自分の癒しと覚醒が進んでいったことなどで、能力が飛躍的に開花し、より様々な方法で、より多くの方のお手伝いができるようになる。

30歳の時妊娠し、子の父親と入籍する。
妊娠発覚後もそれまでと同じようにお仕事を続け、仲氏の初来日の際には氏のアシスタントとして日本各地に赴き、多くを学ばせていただく。

2007年11月、破水から約6時間の驚異的なスピードで女の子を無事出産。
この時最初助産院での出産を強く希望していた私だったが、予定日超過で強制入院になり、入院後すぐに自然出産に至ったが、産後の出血が止まらず大量出血するという事態に。
予定どおり助産院で産んでいたら、下手をすると命がなかったかもしれないということで、結果として娘が予定日どおり出なかったことで命を救われたようなものだった。
こうして生まれたばかりの娘に、最初にして最高の親孝行を受ける。

その一ヶ月後、子の父親と仕事上の意見の相違などで別居することになり、2008年1月には正式に離婚。こうしてシングルマザーとしての生活がスタート。

2008年2月、産後2カ月からRe:Birthでのお仕事を再開。
ひとりで乳飲み子を抱え、肉体的にも金銭的にもやっていけるのかとの不安はあったが、
クライアントさんたちのあたたかい理解と宇宙の支援もあって、すぐに生活が軌道にのる。
そして、母となる経緯で得た自らの新しい側面により、それまで以上により多くのお手伝いをさせていただけるようになる。

しかし娘の成長と共に育児に手がかかるようになり、それまでと同じ仕事量を続けていく事が困難になり、2009年夏頃からお受けするお仕事を減らすようになる。
この頃自我の芽生えと共に扱いが難しくなった娘の育児ストレスをきっかけに、一種のスピリチュアル・エマージェンシーが起こり始め、心身共に苦しい状況がしばらく続く。

同年年末、数か月に渡る混沌状態から霧が晴れたように突如抜けて、新たな自分の創造が始まる。
以前から考えていたRe:Birthの新サイト構築にも、ようやく現実的に動き始めることとなる。

2010年2月、Re:Birth新サイト完成。
これまでの5年間を感謝と共に手放し、また新たな私として新しいかたちでお手伝いしていけることに、わくわくしっぱなしの毎日である。

2011年4月~ 震災を機に、これまでよりも多くの方にお手伝いができるようにと、イギリス在住仲裕美子史のもとをたびたび訪れ、学びを深める

2012年1月、ご縁をいただき11歳年下の男性と再婚。
同年2月、妊娠。
同年9月、子供にとってより良い環境を求め、東京からパートナーの出身地である栃木に家族で引っ越す。この時臨月直前。
同年10月、破水から約1時間の超スピード安産にて、次女を出産。
同年11月、ゆるゆるとお仕事復帰。

2014年2月、次女の成長を機に、本格的に活動を開始する。



◆得意なこと・私の性質◆

このお仕事をするもっと前から、私は人のいいところを見つけるのが得意でした。
それをその方自身や、他の誰もがまだ認識していなかったとしても、私には接しているうちに自然とその部分が感じられ、自分が感じたことに確信を持っていました。

今ではおかげさまでこの特技にさらに拍車がかかり、その人の素晴らしいところを見出し、さらにそれを引き出すことができるようになりました。
私は自分のセッションでいつも、相手の方の素晴らしさや輝きの美しさに感動して、感動のあまり泣いてしまったりもします。
どんな方にもその方しか持っていない魂の輝きがあると思うのですが、ご本人が全く自覚していないそれを見つけた時、私は宝物を見つけたようにとても嬉しく、わくわくします。
そしてその喜びを共有したくて、その輝きをもっと自由に放っていただきたくて、ただその思いだけでこのお仕事を続けているのかもしれません。

また、私にはお仕事だけでなくとも、関わる全ての人を癒しと覚醒に導く性質があります。
私自身が女神ですので、相手の方は私に接しているだけで自然と女神の部分が覚醒へと至っていくようです。
癒しの効果としてはその方が楽になったり自然に状況が改善したりだけでなく、ご本人がまだ向き合えていない闇を引きずり出す時もあるので、そういう時は私に接しているだけで苦しくなったり、ネガティブになってしまったりもするようです。
こうした性質のせいで一方的にその方の持つ何かを投影されてしまうなどで、人間関係で辛い思いをしたことも少なくはありません。
しかし今では自分のそういう部分を理解し、受け入れているので、そういうかたちであってもその方の癒しに関われたこと、そして彼らが私にも学びと癒しを与えてくださっていることに、とても深く感謝をする日々です。



♦メッセージ♦

私の20代後半までの人生のほとんどが、ただただ辛い時期でした。
物心ついた頃から人とは違う感覚を持っていることになんとなく気付いていたものの、それがいいことだとは思えず、むしろ自分が悪いような気がしていました。
言いようのないような不信感と罪悪感を常に自分に持ち続けていたのです。
成長してからも自分でもおかしいと思うくらい、たくさん傷ついてきました。
それも普通ではあまりありえないような出来事ばかり。
あまりにもそういうことばかりが続くので、いつしか私の願いは「普通に生きたい」というただそれだけになっていました。
でもどんなにそれを望んでも得られなくて、もがいてあがいて苦しみきった時、私にはその「普通に生きられない自分」を受け入れるしかないと分かったのです。
どんなに普通ではなくとも、おかしくても変でも、これが自分なのだと。
そうしてその時初めて分かったのです。
今までの自分の苦しみは全て、私が私として生きていなかったことから起こった出来事だったのだと。

私は幼少期、家庭環境の影響もあり、とても悲しく孤独でした。
そのせいか愛されることを強く求めるようになり、そのために自分でも気がつかないうちに自分を偽るようになっていたのです。
愛されたくて、理解されたくて、受け入れたくて、そうされる自分を作りだし、そのうちにそれが本当の自分だと思いこんでいたのです。
自分として生きていない私が、自分の本当の願いや幸せに気付き、それを手にすることなどできません。
それまでの苦しみは全て、そうして抑圧され続けてきた自分自身からの必死の叫びだったのでしょう。
「助けて。私はここにいる。私を見て。」と。

今ではたくさんあった辛いことも、そのおかげで私が真実の自分を見出し、今こうしたかたちで皆様のお手伝いができるようになったのだと理解し、感謝をもって受け入れることができていますが、その渦中は言葉には言い尽くせないほどに辛かったです。
私はいつも、最初からずっと幸せだったのだろうとか、特殊能力を持っているからいいことばかりでしょうとか言われるのですが、ずっとずっと幸せではありませんでした。
ここにきてやっと本当に幸せだと心の底から思えるようになっただけで、その道のりは果てしないと思えるほどに長かったです。
でもだからこそ、今苦しいと感じている方のお手伝いがしたいと、強く思うのです。
そして私の経験と私の喜びが誰かの役に立てるのであれば、それだけで幸せだと。

あなたがこのページをご覧になってくださったのも、きっと何かのご縁です。
あなたがもし私のお手伝いが必要だと思ったら、いつでも私を求めてください。
私は私の喜びのままに、その時自分ができる最善を尽くします。
そうして求めていただくことも私の喜びであり、あなたのお手伝いができることも喜びですが、何よりあなたという存在自体もまた、私自身の喜びの一部なのです。

あなたがいつどんな時も、ご自分の喜びと可能性を信じていられますよう、私はいつもここから願っています。










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